鎌倉浄明寺華の橋の袂にある庚申塚・道祖神の歴史がわかりました。

令和3年(2021)7月11日

朝から良く晴れて、梅雨が明けてしまったのか、と錯覚をおこす程のお天気に朝から恵まれました。気温は高く、最高気温が33度にまでなるという予報も出ていました。

今日は、1カ月前から予定しておりました浄明寺町内会館の周囲の植木の枝払いや花壇の整理、華の橋の花壇の草取りや橋の袂に置かれている庚申塚や道祖神等の各像の周りの整備を行いました。kこれは、毎年、地元の熊野神社のお祭りに合わせて、神社と町内会館のお掃除をすることが恒例となっていますが、昨年同様、コロナ禍で今年もお祭りはありません。お掃除はいつも通り行ったということになります。

作業は、それぞれ分担して午前9時から11時半までの2時間半となり、集まった皆は、汗びっしょりになりましたが、気持ちよく整備ができました。

さて、庚申塚・道祖神についてですが、これはそもそもは、県道の向こう側、現在の石材店の石春さんの所に置かれていたものを、県道の改良により、滑川の反対側に移動したということです。4基ある像のうち顔がはっきりしている像は、石春さんの先々代が作られたそうです(石春さんの次男さんは、第二小・中学校の同級生です)。江戸時代からのものもあり、杉本観音と逗子の岩殿寺を結ぶ『巡礼古道』の基点として作られています。今回、これらの像が触るとグラグラして、長いこと安置されていてもやはり年月と共に劣化しており、そのグラグラ不安な部分を、石春さんの私の同級生に直してもらいました。江戸時代からのものがある・・・と分かったのは、地元の理容店菅野さんの100歳になられたおじいちゃまから娘さんを通して教えて頂けました。そして、この像たちが、不安定な状況の改善修理については、その菅野さんから石春さんに伝えて下さり、同時に4基のうちの一基は、石春さんの次男さん、私の同級生の曾おじいさんが作ったものがある、ということがわかったのです。そしてさらに修理もして下さったということで、沢山の有難い縁が繋がり、おかげ様で整備が進みました。とても感謝しております。

華の橋の袂には、存在感のある大きな桜の木があり、毎年美しく滑川の川幅より広く枝を広げて咲き、地元の人達や観光で訪れる人達の目を楽しませてくれるています。いつの間にか、その幹に蔦が絡み、それだけでなく、庚申塚や道祖神にも絡みついてしまっていました。それらを川沿いで足もとが不安定なので、注意しながら皆で一つ一つ解して、周囲の雑木の枝払いをし、一言でいうと、さっぱりしました。

町内のほんの片隅に長いこと置かれたものですが、町のいろいろなことを知っているのかもしれませんね。

桜の枝が大きく広がり木陰をつくり、滑川からの風にあたりながら、皆で「気持ちいいね~。風通しよくなったね~。今度、巡礼古道を通って逗子の岩殿寺まで歩いてみたいね~。町内会で企画しよう~。」という会話をしながら、払った大量の枝を片付けて作業が終了しました。

この像をさりげなく、通りがかりにお参りする姿があります。改めて地域で大切いしていきたいと考えています。

ここのところ、これらの庚申塚や道祖神がもつ歴史がかなりわかりました。これからも色々なことがわかることを期待しています。

本当に皆で逗子の岩殿寺までの歩くツアーを企画したい、と考えています。町内会としてできる日が来るといいな、と思っています。