東日本大震災が発生から10年を迎えたことに寄せて

令和3年(2021)3月11日

生きているということ 今生きているということ それはのどが渇くということ こもれ陽がまぶしいということ

ふっとあるメロデイを思い出すということ くしゃみをすること あなたと手をつなぐこと

生きているということ 今生きているということ それはミニスカート それはプラネタリウム それはヨハンシュトラウス  それはピカソ それはアルプス すべての美しいものに出会えるということ

そして かくされた悪を注意深くこばむということ

生きているということ 今生きているということ 泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ

いま犬が吠えているということ いま地球がまわっているということ いまどこかで兵士が傷つくということ

いまいまがすぎてゆくこと

生きているということ いま生きているということ 鳥は羽ばたくということ 海はとどろくということ

あなたの手のぬくみ いのちということ

この詩は、詩人、谷川俊太郎さんの『生きる』です。 この詩に出会ったのは、今から約40年前でした。『君は海をみたか』というテレビドラマの冒頭に子どもの声で毎回この詩が朗読されました。この詩を知った時の感動は、今でも熱く蘇ります。当時私は20代前半でした。

そして、 それから20年後、娘が鎌倉市立第二小学校(私の母校でもあります)に在校している時に、PTAの会長をさせて頂いたことから、卒業式のご挨拶の中に、これからを生きる子ども達にこの詩を贈りたくて、卒業生と声をだしての掛け合いという形にして折り込みました。ぶっつけ本番でしたが、なんとか皆がついてきてくれたことを思い出します。

 

そして、それから約10年後の2011年、3月11日、午後2時46分に東日本大震災が発生(私は鎌倉市議会の予算審議をする委員会を傍聴しておりました。役所も大きく揺れて、建物の危険、不安から役所内全員が外は避難しました)しました。

震災後、震災で傷ついた人々を励ます力のある詩の一つとして、この詩が様々な場面で披露されることがおおくなりました。

以来、悲しく辛い記憶と同時に、しっかり生きなくては・・・という想いを強くする詩となりました。

いつもこの詩に寄り添う自分があります。

震災から3カ月後にまだ津波の爪痕がなまなましく残る被災地の海岸を750キロにわたり、当時の会派で視察もさせて頂きました。

私の知る限りの記憶は、発生から10年経ちましても、たとえ目まぐるし変わる社会情勢の中であっても、私の中で決して風化することもなくあり続けており、被災された方々の計り知れない多くの困難を乗り越えて頂きたい、と強く願っております。