『報国寺の紙本淡彩 境内絵図』 が鎌倉市指定有形文化財になりました。

令和3年(2021)3月5日

寛政3年(1791年)に作成された絵図とその内容を説明する資料です。この『報国寺の紙本淡彩 境内絵図』が鎌倉市指定有形文化財となりました。令和2年度(2020年度)に鎌倉市が指定したことが、本日の議会、教育こどもみらい常任委員会で文化財部より報告を受けました。

現在は、鎌倉国宝館に寄託されています。まさに、現在私が住んでおります鎌倉浄明寺宅間谷戸の絵図なので、大変興味深く、思わず気持ちがわくわくしました。

江戸幕府が、朱印地を持つ当時の寺や神社に対して、寺域坪数や本堂、山門といった造作等の坪数を寺社奉行に亭主るように命じ、それに応じて作成されたようですが、驚くのは、その寺域の形は、現在とあまり変わっていないことがわかります。当時は、宅間村と呼ばれていたようですが、今とあまり変わらない一に宅間川も描かれています。

数年前に他界されたお隣のお婆ちゃんが、よく私に話を聞かせて下さったのは、お婆ちゃんがまだ小さい子どもの頃は、「あそこの急坂の上には、小さいお寺があった跡があって、子ども達の遊び場になっていて、そこで遊んでいるうちに暗くなると、火の球がよく飛んで、怖かったよ。狐火って呼んでたよ。」と。あそこ・・・と指指す先は、この絵図に描かれている『慈眼院』のあたりだと思います。 亡くなったお婆ちゃんのお歳からすると、今から100年近い昔の話だと推定できます。絵図は、約300年前のものですが、寺域ですので、当然と言えばそうですが、お寺のおかげで守られてきた谷戸であることが伝わる貴重な絵図と感じています。

今でもこの谷戸に長く住まう人達の間には、お互いの繋がりがしっかり残されており、そうした繋がりに支えられていることを強く感じることがよくあります。

陽ざしの少ない地域ですが、人の心が温かく、これからも穏やかで、静かに暮らすことができる谷戸でありますように願っています。