創業120周年を迎えた江ノ電に。 高校時代の思い出を重ねて。

令和4年(2022)9月2日

   

 

  

今日の鎌倉は朝から稲光が激しい雷や強く降る雨といた荒れた天気です。

開業120周年を迎えた江の島電鉄、通称『えのでん(江ノ電)』に昼休みに会いに鎌倉駅へ。

120周年を向かたことを伝える新聞記事を読んでいたら、会いたくなりました。

高校生買う1年目、藤沢まで通うのに、好んでわざわざ江ノ電にお世話になっていました。海を見ながら富士しました!!

時々朝早い時間に鎌倉駅から乗ることがありました。そんな時は車両が1両でしかもドアは手動、床は塗りたてのこげ茶色のオイルの強い匂いがツーンと月、黒の硬い革靴ではツルツルと滑りそうだったのを思い出します。コトコトと稲村ケ崎駅まで進み、3両を連結して4両編成になって再出発。

沿線の家屋に火災がおこると軒下を通るような電車ですから、たちまち普通に。また当時は、赤字路線という状況に苦しみストライキもありました。先日も同級生とその江ノ電のストライキの事が話題になりました。それは、江ノ電沿線に住んでいる友人の移動には江ノ電以外に無く、ストライキがあるとわかれば、早々と学校は欠席と決め込んでいたのです。一方、当時の国鉄を使って通える私などはその理由は成立しなかった・・・という訳です。

ストライキがあると、嬉しそうだったよねー。と笑い話に。

四季折々の景色や腰越のように商店街を抜けるのが面白く、また窓から入る風がきもちよく江ノ電が大好きでした。もっと子どもの頃には、鎌倉に雪が降ると、父と江ノ電に乗り、雪の積もった由比ヶ浜海岸を見に行った思い出もあります。今でもその光景は目に焼き付いています。

時々友人も付き合って一緒江ノ電で鎌倉へ帰ることもありましたが、やがて、友人に私が付き合う方が多くなり、通学には当時の国鉄を使うことが殆どとなりました。

今は赤字どころか、鎌倉の人だけではなく、多くの人達に愛される電車となることですっかり立ち直り、そんな時代があったことも笑い話に変わりました。それには大変な努力があったことも忘れてはいけません。

12分置きに電車が駅をめぐる時間表は今も昔から変わりません。

今から45年も前になる私の高校生勝にあった江ノ電との思い出がよみがえりました。

120歳のお誕生日おめでとうございます。これからも宜しくお願いします。と心の中で・・・