鎌倉浄明寺熊野神社 初めての『豆まき大会』青年部さんのご尽力により

令和7年(2025)2月15日

鎌倉浄明寺熊野神社で『豆まき大会』が、歴史上初、開催されました。

企画から様々な準備、お汁粉の用意など、主菜は浄明寺町内会青年部の皆さん。

そして、浄明寺の成り立ちのお話と豆をまくのはお宮の役員さん。

大人75名、こども25名の参加があり、町内会の役員を含めると130名もの地域の人達が、境内一杯に集まりました。

回覧や掲示板に張り出したポスターを見て参加される方も多く、とても盛大のうちに終了しました。

 

熊野神社の歴史~大化の改新(645年)の頃、現在の大磯町に国府、海老名町に国分運治がおかれ、『相模国』の形ができ、全国で風土記がかかれました。その時の相模風土記には、熊野神社が「泉水ヶ谷東之沢、宝生庵の東にあり』記されており、熊野神社は、本当に古い時代から、この地にあり、文化の中心として村民と共に歴史を刻んできたことがわかります。 浄明寺地区は、鎌倉時代、鎌倉幕府の有力御家人、足利一族の館があった所です。 そこの中心である浄妙寺は、文治二年(1188年)に足利義兼により、創建され、当初極楽寺と称し、その後正嘉ねんk(1250年代)禅 に改め、禅の修道場となり、寺名浄妙寺と改められ、四方神として、鎌足院李、諏訪神社、三方荒神様、熊の神社を祀ったとのことでえす。熊野神社は、室町時代(1300年代)に、泉水ヶ谷から現在の場所に移され応永年間(1400年ごろ)と、永正年間(1500年頃)に社殿を再建したと伝えられています。 又明治40年頃(1907年)に、老朽化により村人たちが、再建し、当時の奉納者の氏名が額にかけられてあります。 昭和20年終戦護に神社の周りに植林をお子合い、立木の売却や氏子皆様の御寄付などで、神社の護持してきましたが、平成26年(2014年)に老朽が進み、倒壊の危険に伴ったため、多くの皆様の御協力により大改修を行い、現在に至っております。~

昨年末の青年部さん達の忘年会の場で、急に発案されて、あっというまに実現されたことは、本当に凄いことです。

この行事を思いついた青年部さん達の心は、子ども達をはじめ地域の皆さんに熊野神社の場所を知ってもらいたい、毎年神社のお祭りがあるのに、場所を知らない人が多いのではないか、ということからでした。

また、この神社に向かうためには、108段の石段を上らなくてはなりません。高台にあることは、独特の雰囲気をもち素晴らしい環境ではありますが、なかなか馴染めないのも否めません。もっと身近になって欲しいという考えから、境内まで集まってもらうことを考えたのです。

青年部の皆さんは、重いゴトクを運びあげ、お汁粉をじっくり煮込んで・・・

青年部メンバーのお嬢さん達も来てくれて

参加した子ども達にお菓子袋を用意してくれました

心配していた参加人数は、予定したよりも倍という嬉しい結果となりました。

来年はもっと盛大にと青年部さん達は今から考えてくれているようです

参加者最年少は、生後6か月の赤ちゃん。最近会員になった青年部メンバーの一人のお子さんです。かわいいしょ

私の娘のお友達家族も参加してくれて・・

 

鬼の顔マネ???